救いの話 (ラストマイル)

ラストマイル観てからずっと「がらくた」の制作きっかけが廃品回収車の「壊れていても構いません」だったっていう米津玄師の言葉が離れなくて。欠陥があっても受け入れ、受け入れられるという救いの話なのか?と思った。
すると、「魔法のリノベ」を無性に見たくなってしまった。ドラマ内で、過去の人間関係のいざこざがあった主人公が「私なんて事故りまくりですよ~!」ってあっけらかんと言うのだが、こういう人間の心情に寄り添ってくれる作品ってめちゃくちゃ温かいし、割と前の作品なのにすごく記憶に残るよな~って思っちゃった。

ラストマイルが救いかどうかは噛み砕けてないから分からないけど「がらくた」の廃品回収の話といい、「魔法のリノベ」も救いある作品だなって思ったら、今度はMIU404の第3話の桔梗さんの言葉を思い出しちゃった。以下ニュアンス。

 

未成年者でも罪の償いは行わせる。けれど、救うべきところは救う。(のが少年法、と続くのだが。)


これ3話で学校の都合により大会出場を果たせなかった理不尽さの鬱憤晴らしに罪を犯した高校生たちの捜査で言われたセリフなんだけど、これが更生の機会を与えられた(そのうち1人は4年後の世界:"映画ラストマイル"で刑事として描かれてる🥺次は自分が救う番になろうと思ってくれてるのかしら?!泣いちゃう。⇽私情)のに対して、
2話では松下洸平演じる犯人が、幼少期に家庭環境によって負った心の傷を放置されたまま、大人になってしまったことで取り返しのつかないことをしてしまった、という対比になってて(と私が勝手に感じて)めちゃくちゃ大好きなんだよね。
MIU404は全体を通して、「スイッチ」という言葉がカギになっていて、どこで、誰と出会って、何をするか、どの道に進むか、それで進む道を間違えてしまうことなんぞいくらでもある、という考えなんだと思うけど。
2話の犯人が、社会人になる前に親とのわだかまりを解けていたら、と思ったり。
3話だとタイトル「分岐点」のとおり、3人が刑事にちゃんと捕まるんだけど、逃げ切った1人がその後犯罪に手を染めていく姿を見て、違う刑事に追われていたら、とかいくらでもきっかけはあるし、それ以前に部活の環境が異なればこんなことにはならなかったのに、と思ってしまった。

 

何が言いたいかって言うと、人間完全にいい人も悪い人もいなくて、きっかけさえあればどっちにも良くも悪くも転んでしまうっていう、綺麗事じゃないごく普通の人間を描いてくれる脚本家ってめちゃくちゃ信頼出来るなって思った。正直、野木さんの脚本の良さとかを語れるほど知性もないし分からないけれど、とにかく今後もこの人の作品を心待ちにしたいし、自分が完璧な良い人間であるとは到底思えないけど、こうやって考えられる人でありたいとは思った。

あと、いい大人もいるって言葉好き。
自分は未成年と社会人の狭間にいるけど、未成年のときにこの言葉をかけられたら少し安心するだろうし、社会人になったらその「いい大人」として未成年や自分より若い未来ある人に手を差しのべられるようになりたいって思った。

今はその過渡期にいるからどちらでもないってことなんだけどね。